2007.06.09(Sat)

坂口安吾『桜の森の満開の下』(1989年、講談社文芸文庫)
荒筋もとい内容
なぜ、それが“物語・歴史”だったのだろうか―。おのれの胸にある磊塊を、全き孤独の奥底で果然と破砕し、みずからがみずから火をおこし、みずからの光を掲げる。人生的・文学的苦闘の中から、凛然として屹立する、“大いなる野性”坂口安吾の“物語・歴史小説世界”。
えーと、読むのが大変難しかったです。
坂口安吾、好きなんだけど、そして難解な表現を使ってるわけでも無いんだけど、さらさらっと読むと大切な部分を読み逃してしまうんです。
本当は一篇ずつ感想を書こうとしてたのですが、物凄く行き詰ってしました。
というのも、この短編集は13の作品が収められているのですが、6作目の表題作「桜の森の満開の下」の前の5作品が、自分にとってはとても読みにくく、感想が出なかったのです。
なんかこの人、
戦前と戦後で作風が何か、違うように感じられるのは自分だけなんでしょうか…。
戦後の作品の方が、作者の意志や立場がはっきりしていて、開き直っている印象を受けるんです。故にわかりやすい。
わたしは安吾の研究をしていたわけでも何でも無いのでこういう事いうのはおこがましいんですけど。
「桜の森の満開の下」は凄い話でしたね。
桜を見て思い出すのは、今までは梶井基次郎の「桜の樹の下には」だったけれど、これからは屍体だけではなく鬼も思い出しそうです。
思えば、「桜の森の満開の下」、「小さな部屋」、「禅僧」、「夜長姫と耳男」、と、ぶっとんだ女性たちが多く登場します。
でも彼女達は皆無邪気なんですよ。特に「夜長姫と耳男」のヒメなんて、血だらけで笑ってる表情がありありと目に浮かぶんですよ。決してホラーじゃない、日本特有の湿気のある狂気。想像力が豊か過ぎると、頭おかしくなりそうです。
「二流の人」、「梟雄」は戦国時代ものですね。黒田如水と斉藤道三ってセレクトにマニア臭さを感じてしまうのは自分だけではない筈。(道鏡のセレクトも)
どちらも安吾節炸裂で、難しいけれど読みやすかったです。安吾の文章って、口に出して読んでみても、目で追うだけでも、独特のリズムがあって楽しいです。
『安吾史譚』所収の「頼朝」を卒論で扱った自分は、「家康」はとても興味深く読めました。
やっぱり安吾は頼朝の事結構買ってるんだなぁ。
非常に書き散らした感がありありですが、こんなところです。
安吾は評論の方が読みやすい…。
>EntryTime at 2007/06/09 16:34<