2007.06.30(Sat)

柴田昌平監督作品『ひめゆり』2006年 日本
2007年6月19日 ポレポレ東中野にて鑑賞
荒筋:
1945年、第二次世界大戦末期、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が展開された。15歳から19歳の女学生たち222名が急遽看護要員として動員された。のちに「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった少女たちである。彼女たちは赤十字の旗が立つ安全地帯へ配属されるものと思っていたが、そこは砲弾の飛び交う戦場だった。約三カ月の間に123名が戦死。生きのびた生徒たちの多くは、戦後長く沈黙を保っていた……。
見ようと思ったきっかけは、
・大好きな沖縄の映画である事
・Coccoが応援している事
この2つでした。
去年9月の沖縄旅行の際に、ひめゆりの塔へ行きました。隣接している資料館で、この『ひめゆり』にも使われているインタビュー映像が流されていました。ですので、聞き覚えのある話もいくつか。
「映画作品」としてとらえると微妙な面も結構あると思います。
あまりに淡々としているし、画質も良くないし、見せ方もワンパターンだし、正直長いと感じます。
でも『ひめゆり』は、そういう事を超えた意義のある作品ではないでしょうか。
ひめゆりの資料館で流されている映像だとはいえ、あくまで一部だし、ひめゆりの資料館を訪れる機会の無い人だって日本には沢山居るわけで。もっと言うと、楽園・沖縄で、たった60数年前にこんな事があった事実を知らない人達だって居るわけで(わたしの世代が境界線かな、と個人的には思う)。
「知る」きっかけを与えるだけでも、大きな意味がある。
わたしは当時のひめゆりの女の子達と世代が近いのもあってか、一人一人の話を聞く度に「もし自分だったら…」と考えたのですが、とてもじゃないけど、耐えられない。いや、もっと正確に言うのなら、想像の範疇を軽く超えている。
切断された手足を「普通に」捨てに行けるようになる感覚。
「僕は北海道の出身なんだ。戦争が終わって北海道に帰ったら、学生さんにすずらんの花を見せてあげたい」と言って息絶えた負傷兵。
重症患者の毒殺。
…きっと、わたしは真っ先に、気が狂うだろう。
帰り道、友達と話してたのは、「戦争が起こらない世の中なら、こういう事実を知る必要は必ずしも無い。けど、起こり得る世の中だから、知るべき」という事。
宮本亜門がコメントで、あんなに必死に叫んでるのも理解できるのだ。彼の言葉は大袈裟ではない。
実際に、1984年に生まれたわたしでさえ、湾岸戦争とイラク戦争をリアルタイムで知っているのだ。
日本だって、いつどうなるかわからない。
Coccoのおばあちゃんが「あんな辛い事、知らなくていい」と言って泣いた、という話を読んで、
『ひめゆり』のような映画が使命を終えたときが、本当に平和な世の中って言えるんじゃないかと思った。
>EntryTime at 2007/06/30 11:42<